アデノウイルス(以下Adと略す)は、小児を中心とした、呼吸器感染症、眼感染症、泌尿器感染症、腸管感染症などの起因ウイルスです。

  Adには現在、血清型として1-49型まであり、特にAd1-7型など番号の若い血清型が検出頻度が高く、また急性気道感染症の原因ウイルスとして重要となっています。これらの血清型については、1950-60年代には血清疫学やウイルス分離の結果から、我が国における小児の一般的な感染症と考えられていました。

 我が国では1980年代から全国の感染症発生動向調査が開始されました。アデノウイルス7型(以下Ad7)については、1982年から93年までで報告が13例と少なくなっていました。ところが、1995年頃から全国におけるAd7感染症の報告が増え、重症例が出るなど、再興感染症として現在注目を集めています。

 これまでの疫学調査の結果、山形では、1986年から1994年までに1,461株のアデノウイルスを分離したにもかかわらずAd7の分離はゼロであり、1995年8月に初めて3歳の急性気道感染症の女児からAd7が分離されました(図1の矢印参照)。以来,主として軽症の患児から年間3-4例のAd7の分離が続いている状況にあります。

 私たちは、1993年に山形の小児におけるAd1-7に対する血清疫学的調査を行い、Ad7については抗体保有者が全く無かったことを確認しています(Sakamoto M. et al: Tohoku J.Exp.Med.1995,175:185-193)。Ad7感染症が再興した後と思われる1997年に同様の血清疫学調査を行った結果、Ad7抗体陽性者が出現していること(Ad7が1993年以降に再興したらしいこと)がわかりました

 1997年の疫学調査結果を図2に示しました。Ad7に対して1993年当時抗体保有者がゼロであった小児の年齢層で、3.3-16.7%の陽性者があったことは、1993年から1997年の間に、Ad7が再興した可能性を示唆しています。1997年の調査では、10歳代、20歳代(正確には11歳から36歳まで)において抗体保有者がいない谷の部分が観察され、30歳代以上では加齢とともに陽性率が上昇していました。 このことは、1997年時点で70歳代であった人々の約半数が幼少児期にAd7に感染していましたが、その後世代とともに感染の機会が減少し、ついにはAd7感染の機会を失ってしまったと読むことができます。1950-60年当時は、成人するまでにAd7に対する抗体陽性率がおよそ50-70%まで上昇しており、今回の60-80代の抗体陽性率は当時の状況を反映したのでしょう。今回10歳以下で抗体が陽性であった小児は、1993年の血清疫学の結果及びAd7分離の結果(図1)から、Ad7が再興した1995年頃以降に感染の機会をもったと考えるのが妥当といえましょう。

 以上のように、1993年、1997年の血清疫学調査の結果及びウイルス分離の結果から、全国的な傾向と同様、山形でも1995年頃にAd7が再興し、1-10歳の小児を中心に徐々に侵淫しつつあることが明らかになりました。しかし、なぜAd7だけが一時なりとも消失し、再興したのかその理由はわかりません。

 今後とも県民の皆様とともに感染症の発生動向調査を継続していきたいと考えていますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。
図1.山形の小児急性気道感染症の咽頭拭い液から分離された月別血清型別アデノウイルス数(山形県医師会報589:25-34,2000より改変)
図2.山形の各年齢層におけるアデノウイルス1-7型に対する中和抗体要請率陽性率(山形県衛生研究所報32:5-7,1999より転載)
皆様のご協力どうもありがとうございました